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写真は「恐ろしや源氏物語」脚本家 早坂暁氏「千年の恋」を語る @大阪市南港ATCビル ITMホールにて撮影(2001年12月2日) |
ここでは、『源氏物語』や『枕草子』に 具体的な名前が出てくるお 菓子について、ご紹介いたしましょう。 まずは、『源氏物語』からです。 |
椿餅(つばいもちひ) |
椿餅は日本最古の餅菓子で、「河海抄」によれば、餅の粉を甘葛 (あまずら)でこねてツバキの葉で包んだものとされています。 『源氏物語』では、「若菜上」の巻における 蹴鞠の後宴の場面で、 椿餅の名が出てきます。 次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、 柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつ あるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。 椿餅,梨,柑子のような物が、いろいろ箱の蓋の上に盛り合わせて あるのを、若い人たちがはしゃぎながら取って食べている様子が 書かれています。 |
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この写真は、風俗博物館さんで、2001年1月9日〜3月31日に展示 されていた春の遊び蹴鞠『若菜上』よりの一場面です。 (写真はクリックすると拡大されます。) また、2001年の12月2日には、大阪市南港ATCビル12F ITMホ ールで、「恐ろしや源氏物語」脚本家 早坂暁氏「千年の恋」を語る というイベントが行われ、私も企画の段階で少々お手伝いさせてい ただきました。(詳しくは、掲示板No.716で どうぞ。) 先方は、「京都ではなく、大阪でやるのだから、くいだおれの街 大 阪らしく 何か食べるものを出したい」とおっしゃるので、それなら、 珍しくて美味しいものを……ということで「椿餅(つばいもちひ)」を お薦め したのです。そして、当日は、甘葛を砂糖にかえた形で、こ のページのトップに載せた椿餅が出され、私もいただいてきまし た。 その時のことは、掲示板No.1011、No.1012 に載せておりますの で、ご興味をお持ちの方は、ご覧下さいね! |
粉熟(ふずく) |
南北朝までに成立したといわれる「原中最秘抄」によれば、粉熟 は、稲,麦,大豆,アズキ,胡麻の5種を粉にしてこね合わせ、ゆ でて甘葛をかけて練り、竹筒に詰めて押し固めたものを突き出し、 それを切って食べる というものだったようです。 『源氏物語』では、「宿木」巻において、粉熟の名が二度出てきま す。 一つは、中君に男子が誕生した場面で、御産養として、五日の夜 に大将殿(=薫)が宮(=匂宮)に差し上げたお祝いのひとつとし て、描かれています。 宮の御前にも浅香の折敷、高坏どもにて、粉熟参らせたまへ り。 薫はこの時、屯食五十具、碁手の銭、椀飯、子持ちの御前の衝重 三十、稚児の御産着五重襲、御襁褓など、実にさまざまなものをプ レゼントしているのですが、ご馳走としては、匂宮の御前に 浅香の 折敷や、高坏類に、粉熟を差し上げた・・・というわけですね。 そして、二つ目は、薫が今上帝の第二内親王である女二の宮を 得、帝の婿君となった後に、藤壺において藤の花の宴が催され た折の場面でした。 宮の御方より、粉熟参らせたまへり。沈の折敷四つ、紫檀の 高杯、藤の村濃 の打敷におりえだ縫ひたり。銀の様器、瑠璃 の御盃、瓶子は紺瑠璃也。 宴のご馳走として、宮の御方(女二の宮)から粉熟を差し上げます。 見た目も麗しく、沈の折敷四つ、紫檀の高坏、藤の村濃の打敷に、 折枝を縫ってありました。銀の容器、瑠璃のお盃、瓶子は紺瑠璃と いう懲りようです。 どちらの場面も、かなり気合いの入ったおもてなしをしようとしてい る場面におけるご馳走として、食器にも相当凝った上で、この粉熟 というお菓子が登場しているように思われます。 |
つぎは、『枕草子』に描かれたお菓子です。 |
あをざし |
「大言海」の記述をまとめてみますと、あをざしというのは、未熟な青 麦(つまり、青麦のもやし)を煎り、臼でひいて粉にし、糸のようにひ ねって作った菓子 ということになるでしょうか。これは、麦焦しを練 ったようなもので、夏山雑談(寛保)五には「青ざしト云フモノハ、古 ヘハ、高貴ノ方モ食サレタル物ナリ、今、民間ニ用フル青ざしモ、コ レナルニヤ」と書かれており、江戸時代までは 一般に食されていた ことがよくわかります。 『枕草子』225段には、彰子が立后し、定子は皇后と呼ばれるよう になった長保二年に、大進(だいじん)生昌(なりまさ)の邸で、端午 の節句を迎える準備をしていた時の様子が、次のように記されてい ます。 三條の宮におはしますころ、五日の菖蒲の輿など持てまゐり、 藥玉まゐらせなどす。 若き人々、御匣殿など、藥玉して、姫宮・若宮に着けたてまつ らせたまふ。いとをかしき藥玉どもほかよりまゐらせたるに、 あをさしといふものを持て来たるを、青き薄樣を艶なる硯の蓋 に敷きて、「これ、笆越しにさぶらふ」とてまゐらせたれば、 みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける この紙の端を引き破らせたまひて書かせたまへる、いとめで たし。 三條の宮というのは、左京三条四坊二町にある竹三条宮のこと で、もちろん、姫宮とは脩子内親王、若宮とは敦康親王のことを指 します。 このお二人の健やかなご成長をお祈りして、薬玉(くすだま)を腰 にお付けしたりしている時に、「あをざし」を持って来てくれた人が いた・・・というわけですね。 清少納言は、直ちに素敵な硯の蓋に青い薄樣の紙を敷き、その 上に「あをざし」をのせ、「これ、笆越しにでございますが・・・」と言 って、定子に差し上げました。 「笆(ませ)越し」というのが、「笆越しに麦はむ駒のはるばるに及 ばぬ恋もわれはするかな」という歌(古今六帖・二)をふまえている ことは間違いないようですが、その心は? となりますと、いろいろ な説があるようです。 でも、「邸の外で摘んだ麦、つまりはよそからの献上品でございま す」ということと、下の句の「及ばぬ恋もわれはするかな」つまり、 「私は 定子さまをお慕いしております」という気持ちを、現在、定子 が不遇な折であるだけに、清少納言はもう一度伝えておきたかった のではないかな と、私自身は考えています。 硯の蓋に敷いてあった青い薄樣の端をちょっと破って、定子がお書 きになった歌、 みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける の中で「私の心をあなただけは知っていてくれるのですね」とある ことからも、そんな二人のやりとりが感じられるように思うのです。 主上のおそばを離れ、ここ竹三条宮で過ごさなければならなくな った定子と清少納言それぞれの言外の気持ちが、この「あをざし」 を通して語られている、そんな場面でした。 |
餅餤(へいだん) |
「和名抄」によれば、餅餤は、ガチョウやカモの卵を雑菜と煮て餅で 包み、方形に切ったものなのだということです。また、「延喜太政官 式」によれば、餅餤は、考定や列見の後に設けられる宴で、酒が数 巡したあとに出されるご馳走であったということです。 『枕草子』128段には、この列見の日に、藤原行成から餅餤が贈ら れた時の様子が いきいきと描かれています。 それでは、その時の様子をみてみましょう。 ある春の日、長徳二年の二月のことでしょうか、頭弁・藤原行成か ら白い色紙に梅の花が添えられた包みが贈られます。絵かと思っ て開けてみると、餅餤が二つ並んで入っていました。そこには、ま るでお役所が出す公式文書(解文)のように 「進上。 餅餤一包、 仍例(れいによって)進上如件(くだんのごとし)。 別当少納言殿。」 と書かれていました。 差し出し人の名は「美麻那成行」。奥には、「この男は、自分で参上 したいのだけれど、明るい時は見た目が悪いから と言って、行か ないようですよ」と、書いてあります。 もちろん、成行というのは 行成のことで、すばらしく素敵に書かれ た筆跡を見れば、そのことは 一目瞭然でした。 清少納言は、さっそくそれを持って、定子の御前に参上します。 定子は 行成の書いたものをご覧になって「これは素敵!」と、その 解文をご自分のものにしてしまわれました。 さて、行成から素敵なプレゼントをもらって嬉しい清少納言ですが、 これだけの趣向を凝らした贈り物に対し、どのようにお返事を差し 上げたらいいのかわからず、困ってしまいました。そもそも、餅餤を 持って来てくれたメッセンジャーボーイに対して、何かあげたほうが いいのか、それさえもわかりません。 「だれかそういうことに詳しい人っていないかしら?」と口に出して 言ってしまったのを、定子がお聞きになられて、「惟仲の声がして いたから、呼んで聞いてみたら?」とおっしゃいます。 この惟仲というのは、他でもない、あの大進(だいじん)生昌(なりま さ)の自慢の兄で、けっこう物知りなのでした。 早速、惟仲を呼んで聞いてみますと「こういうものは、ただ受け取っ て食べればいいだけです」とのこと。 だったら……と、即座に方針を決めた清少納言は、お返事を書きま した。「自分で持ってこないような下部は、すっごく冷淡(れいたん= 「餅餤(へいたん)」の語呂合わせ)だなって、そう見えちゃうな」とだ け、赤い薄様の紙に。もちろん、素敵に咲いている紅梅の枝を添え ることも忘れません。 それを見た行成はすぐにやってきたようで、御簾の外では「下部が 参りました」との声がしています。 清少納言が出ていきますと、「いや〜、さすがですね! てっきり歌 でお返事があるものと思っていましたが、意表を付かれました。あ なたのそういうところが つきあいやすいんですよ。僕なんかに歌を 詠みかけてくる人は、かえって心ないように思えてしまいますから」 との言葉。 「それって、まるで、則光みたいじゃないの?!」 と、笑って落ちが 付いたはずのことが、 主上のお耳にも入り「うまく言ったもんだね」 とお誉め下さったとか。なんだか見苦しい自慢話みたいでイヤなん だけど、でも、やっぱり嬉しいな。 (*^^*) とまあ、そんな内容です。 以上、列見の日に、行成から餅餤が贈られた際のお話でした。 原文をご覧になりたい方は、こちらもどうぞ。 『枕草子』128段 頭弁の御もとより、主殿寮、絵などやうなるものを、白き色紙に こ の梅の花のいみじう咲きたるにつけて、持て来たり。 「絵にやあらむ」と、いそぎ取り入れて見れば、餅餤といふものを、 二つ並べてつつみたるなりけり。添へたる立文には、解文のやう にて、 進上。 餅餤一包、 仍例進上如件。 別当少納言殿。 とて、月日書きて、「美麻那成行」とて、奥に、このをのこは、みづか らまゐらむとするを、ひるはかたちわろしとて、まゐらぬなめり。と、 いみじうをかしげに書いたまへり。 御前にまゐりて、御覧ぜさすれば、 「めでたくも書きたるかな。をかしくしたり」 など、褒めさせたまひて、解文は取らせたまひつ。 「返りごといかがすべからむ。この、餅餤持て来るには、物などや取 らすらむ。知りたらむ人もがな」 といふを、きこしめして、 「惟仲が声のしつるを。呼びて問へ」 とのたまはすれば、端に出でて、 「左大弁にものきこえむ」 と、侍して呼ばせたれば、いとよくうるはしくて、来たり。 「あらず。私事なり。もしこの、弁・少納言などのもとに、かかる物持 て来る下部などは、することやある」 といへば、 「さることもはべらず。ただ、とめてなむ食ひはべる。何しに問はせ たまふぞ。もし、上官のうちにて得させたまへるか」 と問へば、 「いかがは」 といらへて、返りごとを、いみじう赤き薄様に、 みづから持てまうで来ぬ下部は、いと冷淡なりとなむ、見ゆめる。 とて、めでたき紅梅につけて、たてまつりたるすなはち、おはして、 「下部さぶらふ。下部さぶらふ」 とのたまへば、出でたるに、 「さやうのもの、『そら詠みしておこせたまへる』と思ひつるに、 美々 しくもいひたりつるかな。女の、すこし『我は』と思ひたる は、歌詠が ましくぞある。さらぬこそ、語らひよけれ。まろなど に、さることいは む人、かへりて無心ならむかし」 などのたまふ。 「則光なりやする」 と、笑ひてやみにしことを、 「主上の御前に人々いと多かりけるに、語り申したまひければ、 『よくいひたり』となむ、のたまはせし」 と、また、人の語りしこそ、見苦しきわれぼめどもぞかし。 |
現在入手できる『源氏物語』にちなんだお菓子 |
島根県津和野の「竹風軒本店」さんの『源氏巻』『源氏草子』 |
お菓子の包装からして雅です。お値段もリーズナブルだし。 餡子の味も上品で、なにより生地が美味しいですよ。 お菓子の由来そのものは元禄の頃の、吉良上野介様(あの有名 な)献上品から来ているみたいです。 津和野や山口は昔から『小京都』と称される場所で、京都に対して の造詣の念も深い所ですから、こうしたお菓子の命名一つとっても 『思い』が込められるのではないか〜と私的には考察しております。 以上、情報提供者:海夢さんより(No.4390) なぎさんがご提供下さった『源氏巻』の写真はこちらです。 |
神戸の「神戸風月堂元町本店」さんの『源氏の由可里』 |
もともと村山リウ氏の源氏講読会に出ていた神戸風月堂の社長夫 人が講読会の度ごとに参加者のために調製させた和菓子が評判 で、一般にも売り出したものです。 二十数年前、関西から東京へのお土産にもよく持参し、秋山先生や 後藤先生にも召し上がっていただいたことがあります。 以上、情報提供者:SAEさんより(No.4393) |
東京赤坂の「虎屋」さん本店 |
東京では虎屋が、源氏関連の展示会で和菓子を出品したり、かつ て赤坂の本店で、源氏にちなんだ和菓子展をしたこともあったかと 思います。 以上、情報提供者:SAEさんより(No.4393) 「源氏の意匠」という本には、源氏物語の中の有名な巻名をつけた 和菓子が載っていますが、(どなたからお聞きしたのかは忘れまし たが)それも虎屋さんで作られたものだと記憶しています。 以上、情報提供者:笑芭 |
京菓匠 七條甘春堂さんの干菓子『源氏香』 |
宇治の源氏物語ミュージ アムへ行きましたら、源氏香図をかたどっ た干菓子『源氏香』が 販売されていることに気付きました。 お菓子 の箱の絵が、「三十六歌仙絵 小野小町」を元にして いるような女 房装束の後ろ姿だったのでデジャヴを覚え(笑) 箱欲しさに購入し てしまいました。 このお菓子、口にいれるとふわーっと甘く、とても美味し かったで す!ヽ(^o^)丿 桃色のものと白いものがそれぞれ10個ずつ入ってお り、 それぞれ源氏香の図をかたどっていました。 そしてそれらの 上に花びらの形をした干菓子が2枚 置かれているんですよ。素敵 でしょう♪ (実は、干菓子って苦手だったのですけれども、美味でした!) お菓子を製造されているのは、京菓匠 七條甘春堂 さん ですが、 七條甘春堂さんのサイトを拝見しますと『源氏香』と いうお菓子は UPされていないようですので、 源氏物語ミュージアム限定のお菓 子なのでしょうか。 以上、情報提供者:なぎさんより(No.4633) |
(株)ハマダさんの『浮舟カステラ』 |
地元のスーパーマーケットで「浮舟カステラ」という カステラを見つけ て即、購入いたしました。ヽ(^。^)ノ パッケージは、川をはさんで、冠直衣姿の公達と女房装束姿の 女 君の絵が描かれています♪ そして川には木の葉が流れている という王朝風な感じです。 女君が「浮舟」なのだとしたら、男君は 薫・匂宮のどちら でしょう ね?(笑) 中はごく普通のカステラでした。 徳島産和三盆を使用されているそ うで、甘くて 美味しかったですよ! この「浮舟カステラ」は、京都市伏見区の(株)ハマダ さんが 製造 されているそうなので、関西ではポピュラーなお菓子なの かもしれ ませんが、一応ご報告まで♪ 以上、情報提供者:なぎさんより(No.6742) なぎさんがご提供下さった『浮舟カステラ』の写真はこちらです。 |
栃木県宇都宮市「濱田屋本店」の『若紫』 |
宇都宮の老舗の和菓子店「濱田屋本店」には源氏ゆかりのお菓子 「若紫」があります ということで、SAEさんからいただきました。 見目麗しく また 内面的にも優れた女性に育った 若紫ちゃんの 名に恥じず、見た目もお味も どちらも上品で優雅なお菓子です。 詳しくはこちらのページでどうぞ! |
京都府宇治市「式部卿」の『源氏歌あわせ』 |
SAEさんのサイト河添房江のホームページで100000ヒットを踏んだ 賞品の一つとしていただきました。 それぞれの季節に相応しく仕上げられたお菓子を、目と舌と和歌の 心地よいリズムで楽しもうという趣向の贅沢なお菓子です。 詳しくはこちらのページでどうぞ! |
愛知県「松河屋・花心雅寮」の『紫の若くさ』 |
ある方から 源氏物語にちなんだおかきをいただきました。 とっても美味しい黒豆のおかきです。 詳しくはこちらのページでどうぞ! |
現在入手できる『土佐日記』にちなんだお菓子 |
高知市の「青柳」さんの『土左日記』 |
『土佐日記』の伝本が「土左」となっている表記にこだわっていると ころ がなかなかで、菓子も亡児を偲んでということか、幼児の肌を 表わすかの ようなモチモチとした肌触りが特色です。 菓子を食べない私でも、お世辞 ではなく、なかなかのものだと思い ました。 実は、そういう菓子があるということを高知県出身の人に 聞いて、ネット で検索した上で、例の本(笑芭注:『姫様と紀貫之 のおしゃべりしながら土佐日記』)を送ったらお礼に送ってきてく れたのです。 とにかく、食べて損はない菓子だと思いますね。 以上、情報提供者:大伴茫人さんより(No.4385) 以下、情報提供者:なぎさんより(No.5149) うちの弟が、先日、四国へ行った折にお土産として 美味しそうだっ たから、と「土左日記」を買ってきて くれました♪ 以前、大伴さんがこちらでご紹介下さった 高知市にある 「青柳」さ んの土左日記を題材としたお菓子です。 大伴さんが書いていらっしゃったように、子どもの肌のような モチモ チ感と ほどよい餡の甘さが美味しかったです。 o(^o^)o そして、なによりも印象深いのは、和綴じ本をイメージした かのよう な箱のデザインです! (写真へ) 表紙部分であるフタをあけると、フタの裏(表紙裏)には 桜の花が 描かれ、花びらが舞い、 土左日記 みやこへと思ふをものゝかなしきは かへらぬ人のあればなりけり 紀 貫之 との和歌が筆書きされています。(写真へ) お菓子の美味しさもさることながら、箱の演出が凝って いて惚れ 惚れします。 |
現在入手できる『百人一首』にちなんだお菓子 |
奈良県吉野「松屋」の『吉野懐古』 |
ある方から 吉野のお土産をいただきました。 いざ いただこうとして蓋を開け、あまりの美しさに絶句!! というわけで、無理にも「現在入手できる『百人一首』にちなんだお 菓子」ということにして、こちらで紹介させていただくことに・・・(笑) とにかくこちらのページをご覧下さい。 見て美しく 食べて美味しい 素敵なお菓子ですから・・・。 |
他にも、平安時代の文学作品の中に登場するお菓子や、平安時代 の文学作品ちなんだお菓子をご存じの方がいらっしゃいましたら、 掲示板にて教えて下さいね! |