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写真は日本文化フォーラム21@仁和寺にて なぎさんが撮影されたもの(2003年5月31日) |
| お菓子は何と呼ばれていたのか? | |
| 『源氏物語』における「くだもの」の用例 | |
| 主菓餅(くだもののつかさ) | |
| 八種唐菓子 | 梅枝 |
| 桃枝 | |
| かっこ | |
| 桂心 | |
| 黏臍 | |
| ひちら | |
| 鎚子 | |
| 団喜 | |
| 唐菓子の真相(笑) | |
| 現在入手できる唐菓子 | |
| 上の写真の唐菓子の解説 | |
| その他のお菓子へ | |
当時、お菓子のことは「くだもの」と呼ばれてしました。しかし、「くだも の」と書いてあればお菓子のことを指すというわけではありません。 「くだもの」は本来「木(く)だ(=の)もの」の意であり、現在もそうであ るように、木の実や草の実、つまり果実を指す言葉だったからです。 「延喜大膳式」の「諸国貢進菓子」の条には、山城国のムベ,アケビ, イチゴ,ヤマモモ,平栗,れんこんなど、さまざまな果実の名が挙げら れており、これらは饗膳(きょうぜん)の献立の一部をも構成していま した。 この他、「くだもの」には、酒のさかなという意味もあります。 さて、『源氏物語』の中での「くだもの」の用例は24ありますが、その 多くは「ちょっとした間食(あるいは軽食)として差し上げるもの」とし ての使われ方であって、はっきりと「お菓子」の意味で用いられてい ると明言できるものは ほとんどありません。 しかし、そんな中にあって、「薄雲」の巻で、明石の姫君が二條院に ひきとられる場面における「くだもの」は、「お菓子」のことだと断言し てしまっても問題ないでしょう。 こなたにて御くだもの参りなどしたまへど、やうやう見めぐらして、 母君の見えぬを求めてらうたげにうちひそみたまへば、乳母召 し出でて慰め紛らはしきこえたまふ。 二條院に連れてこられ、紫の上のそばでお菓子を食べていた明石の 姫君が、母明石の君の姿が見えないことに気づいてべそをかくので、 乳母を呼び出して姫を慰めた……というシーンです。 ここは、私が初めて【読み】に挑戦した場面でもあり、紫の上が明石 の姫君のために用意したお菓子って いったいどんなお菓子だった のかしら?!との疑問をその時に持ったことを、よく覚えています。 この疑問に答えてくれるものとしては、大宝令の「宮内省大膳職(だ いぜんしき)」の条に「主菓餅(くだもののつかさ)二人、掌らむこと、 菓子(くだもの)のこと、雑(くさぐさ)の餅(もちい)等造らむ事」と書 いてある中の「雑(くさぐさ)の餅(もちい)等」というのがヒントになる でしょう。 大膳職というのは、臣下などに下賜する調理や饗膳をつかさどると ころで、そこには主菓餅(くだもののつかさ)という官が置かれ「菓餅 所(かへいしょ)」という施設がありました。 この主菓餅(くだもののつかさ)というのは、上記のように「菓子のこ と、雑餅等を造らむ事」を司る職とされ、諸国から貢進される果実類 の保管や出納などとともに「雑(くさぐさ)の餅(もちい)等」を作ること にも当たっていました。つまり、「雑(くさぐさ)の餅(もちい)等」を作る ための作業所が 菓餅所(かへいしょ)であったというわけです。 それでは、「雑(くさぐさ)の餅(もちい)等」とは どのようなものだっ たのでしょうか? 平安時代のお菓子の実態は、そのほとんどが唐菓子(とうがし・から くだもの)であった とされています。唐菓子というのは、その名のとお り 中国文化の影響のもとで成立したお菓子のことです。 ここでは、「和名抄」に名の見える「八種唐菓子」について、ひとつず つ見ていくことにいたしましょう。 |
1)梅枝(ばいし=梅子とも) |
米の粉を水で練ってゆで、それを梅の枝に模して整えてから、油で 揚げたもの。(「厨事類記」による) 奈良春日大社の神饌(しんせん)の一つとして、今も作られている。 |
2)桃枝(とうし=桃子とも) |
米の粉を水で練ってゆで、それを桃の枝に模して整えてから、油で 揚げたもの。(「厨事類記」による) |
3)かっこ(□餬)<注>□は食+渇の右側を合体させた字 |
小麦粉(「厨事類記」によれば米の粉)を水で練ってゆで、それを 蝎虫(かっちゅう=サソリともキクイムシともスクモムシとも)の 形に整えてから、油で揚げたもの。(「和名抄」による) |
4)桂心(けいしん) |
不明。モチ米の粉に肉桂、つまりシナモンを混ぜて水で練ってゆで、 それを法冠のような形に整えてから、油で揚げたものか。 |
5)黏臍(でんせい=「てんせい」とも) |
小麦粉(「厨事類記」によれば米の粉)を水で練ってゆで、それを は臍(へそ)の形のくぼみをつけてから、油で揚げたもの。(「和 名抄」による) |
6)ひちら([食畢][食羅]) |
不明。米の粉(モチ米か?)を水で練ってゆで、それを花弁に似た 薄い円形にしてから油で揚げたものか。(焼くという説も) |
7)鎚子(ついし) |
不明。米の粉(みじん粉か?)を水で練ってゆで、それを芋の子の ような形にしてから油で揚げたものか。(蒸すという説も) |
8)団喜(だんき)=歓喜団(かんぎだん)とも |
米の粉(小麦粉という説も)を水で練って丸めてからゆで、甘葛を塗 ったもの。(「厨事類記」による) シューマイ風の餡入りだんごとも。 |
一応、こうして書きあげてはみましたが、実際には、すでに鎌倉末期 の時点において、これらの唐菓子が 何を材料として どのように作ら れていたのか、その正確なところについては わからなくなっていた ようです。 そのことは、後醍醐天皇が著された有職書「建武年中行事」の中で、 5)の黏臍,6)のひちら,3)のかっこ,4)の桂心などは、名前だけが残 っていて 形などは不明であり、内膳司に尋ねてもわからない と記し ておられることからも うかがえます。 ただ、同じく鎌倉末期の成立とされる「厨事類記」によれば、唐菓子 の多くは、米の粉や小麦粉、あるいは大豆粉などを水でこね、甘葛 (あまずら)を加えて胡麻油で揚げる……というように調理されてい たとのことです。 紫の上が明石の姫君のために用意したお菓子というのも おそらく は こういったものだったのでしょうね。 現在、私たちが食べることのできる唐菓子としては、 奈良市にある萬々堂通則さんの「ぶと饅頭」 京都市上京区にある水田玉雲堂 唐板さんの「唐板煎餅」 (サイト内の「由来書」のページをご覧下さいね) 京都市東山区にある亀屋清永さんの「清浄歓喜団」 (遣唐使が伝えた唐菓子で、白檀、竜脳、桂皮末など七種の香を練 り込んだ皮に餡を包み、上胡麻油で揚げたものなのだそうです。) などが有名でしょうか。この他、 京都市上京区の「俵屋吉富」烏丸店の3Fにある京菓子資料館 にも 一度は行ってみたい気がしますね♪ さて、このページのトップに飾った唐菓子は、2003年5月30日・ 31日に御室御所 仁和寺で開催された日本文化フォーラム21にお いて出されたものですが、実際に召し上がられた方々にお聞きしま したところ、「ちょっと固めで、ベーキングパウダーの入っていないド ーナツのような味がした」ということでした。 以下の文は、この唐菓子に添えてあった紙に書いてあったものから の引用です。 |
「唐菓子(からがし)」 ■別名は唐果物(からくだもの)。糯米(もちまい)の粉、小麦粉、 大豆、小豆などを素材に、酢、塩、胡麻、甘葛汁(あまずら)を加 え、油で揚げたものです。植物の菓子に似せて作られ、異国風の 意匠となっていました。 |
その他のお菓子へつづく