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雲林院(うりんいん)









最後に雲林院の名が出ている 古い住居標識をご覧下さい。



ここには「上京区」と書かれていますが、現在では北区にあたる
そうです。

さて、この標識なんですが、当日撮影したものではなく、穴瀬さん
を通してある方から送っていただいたものなのです。

ラン2さんが運転して下さる車で、雲林院から 紫式部のお墓へ
と向かう途中、穴瀬さんが「このあたり、以前は紫野雲林院町と
呼ばれていたんですよ」と 教えて下さったもので、そういえば、
本にもそんなことが書いてあったなぁ・・・と思い、「雲林院の名
の住居表示があれば、写真に撮っておきたいのですが・・・。」と
何気なく申していたのです。

でも、当日は見つからず、私自身はすっかりそのことを忘れてい
ました。ところが、律儀に覚えていて下さった 穴瀬さんが 次ペ
ージでご紹介する 玄武神社の役員の方に そのことをお話し下
さり、それを伝え聞かれた 玄武神社の役員の方が、わざわざ
その場所を探して下さり、撮ってきて下さったのが この写真なの
でした。(本当にありがとうございました。ひたすら、感謝です!)

撮影場所は、雲林院から少し南の角の材木屋さんだそうです。
この古い標識は 今では貴重品となっており、いったんはお家で
保存しておられたそうなのですが、ご近所からの要請で出してこ
られ、高いところに掲げておられる・・・とのことです。

穴瀬さんに教えていただいたお話によりますと、この材木屋さん
は雲林院町の役員さんとして、毎年秋には紫式部の日を設け、
催しなどもしておられるそうです。

今回、穴瀬さんにご一緒していただいて このあたりを巡る機会
を得、ここには 本当に素晴らしい史跡が多く残されていること、
そして、それらの史跡が観光化されることなく ひっそりと残され
ていることなどに気づかされました。

私や ここをご覧の 言ってみれば マニアックな方たちにとって
は、そういう史跡に巡り会えるほど嬉しいことはないと思います。

でも、観光化されていない ということは、身も蓋もない言い方を
してしまえば、その史跡を守ることでは お金が入ってこない・・・
ということを意味するわけですよね。

公の機関から多少の助成金は出ているにしろ、おそらく そんな
ものは雀の涙でしょう。結局、そういう史跡を史跡として後世の人
にも残していけるかどうかは、その地域に実際にお住まいの方た
ちのお心ひとつにかかっている・・・というのが 現実ではないで
しょうか。

ここ雲林院町では、役員の方々を中心に 町内の有志の方々が
お寺を応援し 整備しておられ、また、紫式部のお墓を清掃して
いらしたり・・・と、物心両面で大切に守っておられるご様子を拝
見し、素晴らしいことだなぁ ありがたいことだなぁ と思わずには
いられませんでした。


村上天皇の天暦年間、雲林院の敷地は東西・南北ともに七拾三
丈であったことが「山城名勝志」巻十一には記されているそうで
す。ということは、あと七丈ずつ長ければ ちょうど四町になるほ
どの広大な寺院であったわけですね。
しかし、時代の流れとともに 庇護が得られなくなり、1315年に
は、花園天皇からこの土地を賜わった宗峯妙超(大燈国師)が
ここに大徳寺を建立し、以来 雲林院の名は忘れさられていきま
す。けれども、江戸時代になって、「雲林院をこのままにしていて
はいけない」という声が挙がり、観音堂が再建され、そして 今日
に至っているのだそうです。

穴瀬さんからお聞きしたお話では、「雲林院ってどこにあります
か?」とお聞きするよりも「観音さんは?」と言ったほうが通じや
すいほどに 地域の方たちからは「観音さん」として 今も親しま
れているお寺だということです。

これからも 地域の方たちのお力で 由緒あるこの雲林院が
いついつまでも守られていきますように・・・!


玄武神社へつづく

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