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写真は99年5月の「端午の節句」『蛍』より |
まずは、薬玉の作り方について、平凡社CD−ROM版世界大百 科事典からの引用です。 日本でははじめショウブとヨモギの葉などを編んで玉のようにまるく こしらえ、これに5色の糸をつらぬき、またこれに、ショウブやヨモギ などの花をさしそえて飾りとした。 室町時代より後は薬玉を飾る花は造花となり、サツキ、ショウブそ の他四季の花が用いられ、また中に麝香(じゃこう),沈香,丁子 (ちょうじ),竜脳などの薫薬(くんやく)を入れたため、薬玉はにお い入りの玉となった。また糸は室町時代には6色となり、長く垂れ ることとなった。文責:河鰭実英(引用終了) 現在の古語辞典類を見ますと、薬玉とは、麝香、沈香、丁子など の香を錦などの袋にいれて、その廻りを菖蒲、蓬などの造花で飾 り五色の糸をさげる という形になっています。しかし、風俗博物 館さんでは、「延喜式」、「内裏式」、「后宮名目」、「花鳥余情」、 「西宮記」、「三代実録」、「御堂関白記」などを参考にされた上で いろいろご検討された結果、懸け香の形はとられずに、蓬、菖蒲 をまとめて五色の糸で丸く結び糸を垂らしたもの というように考 えられたそうです。 こうしてできたのが、上の写真の薬玉だったわけですね。 この薬玉は、陰暦五月五日の端午の節句に、邪気を払い不浄を 避けるものとして、柱や簾に掛けたり、身に付けたりして用いられ ました。 平安時代には、五月五日になりますと、天皇が、宮中の糸所から 献ずる菖蒲縵をかけて武徳殿に行幸され、群臣もそれぞれ菖蒲 縵をかけて参上しました。そして、中務省が内薬司、宮内省が典 薬寮の役人を率いて菖蒲机(=菖蒲輿=あやめのこし)を献上し、 女蔵人は菖蒲や薬玉を太子以下諸臣に下賜された ということ です。 「花鳥余情」には、「くす玉を右のかたにうちかけて左のわきへた れて二の緒をわけて腰にゆひて各拝舞するなり」と 薬玉の身に 着け方が書いてありますし、藤原師輔の日記「九暦」にも、菖蒲 縵の着装のしかたなどとともに 詳しく書いてあるということです。 また、「源氏物語事典」(池田亀鑑)によれば、薬玉をひじにかけ れば悪病をうけずに寿命をのびるといわれ・・・ともあります。 風俗博物館では、成長を願うという意味からも、幼い者の身につ けたであろうと考えられ、女童たちの腰に薬玉をつけておられま した。 また、寝殿の西廂では、桜がさねの細長姿の明石の姫君に薬玉 をつける女房と それを優しく見守る 根菖蒲のかさねの袿袴姿 の紫の上がいらっしゃいました。 最後になりましたが、上の写真の薬玉は、『蛍』巻に 薬玉など、えならぬさまにて、所どころより多かり。 と、玉鬘のもとへ 何とも言いようのないほど素晴らしい薬玉など が 色々なところから多く届けられた とある その薬玉の中のひ とつを柱に掛けられたところなのでした。 |
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