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8人いる童女の頭部をそれぞれクリックしてみてね! 写真は風俗博物館にて2002年12月4日に撮影 |
子の日の遊び 小松引き |
平安時代、正月初めの子(ね)の日に、貴族たちが野山に出かけて 楽しんだ野遊びのこと。 『源氏物語』では「初音」巻に、この小松引きの様子が描かれてい ます。まずは原文で確認してみましょう。 今日は子の日なりけり。げに千年の春をかけて祝はむにこと わりなる日なり。姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕 へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、 おきどころなく見ゆ。 新年を迎えて初の子の日に、源氏が明石姫君のところにお渡りに なりますと、童女や下仕えの女房たちが、お庭先の築山の小松を 引いて遊んでいました。 それを見ている若い女房たちの様子も、じっと見ているだけでは 物足りなくて、一緒にやりたがっているようだった ということです。 風俗博物館では、東の対のお庭先で、まさにこの小松引きの場面 が繰り広げられていました。 大勢の童女たちが庭におりて、小松を引いて遊んでいます。抜い た小松を得意げに掲げて見せている童女がいるかと思えば、勢い 余ってスッテンコロリンと尻餅をついている童女までいました。 こんなに大勢の童女たちが一堂に会しているところは、今回、初 めて拝見しましたが、どの童女のお衣裳もかわいくて、とっても素 敵でした。(*^^*) 童女たちが着ているお衣裳は衵(あこめ)姿といい、これは、表衣 と肌着との間に着込める、つまり「間籠」からきた名称です。 衵は、男女共にこれを用いましたが、童女が汗衫(かざみ)の下に つける衣を指して言う場合が多かったようです。また、衵の長さは いろいろでしたが、裾短に仕立てることが多く、童女の日常着とな っていました。 童女たちのお衣裳がこれだけまとめて拝見できる機会もそうそう ないでしょうから、風俗博物館に行かれる方は ぜひ こちらも し っかりとご覧下さいね! さて、子の日の遊びについて 以下に もう少し詳しくまとめてみた いと思います。 『年中行事秘抄』には、正月子日登岳遙望四方、得陰陽静気、 触其目除憂悩之術也 つまり、正月上の子の日に丘に登って四 方をはるかに望めば、陰陽の静気を得て、憂悩を除くことができる ……とあります。 また、『万葉集』には、大伴家持が 初春の初子の今日の玉箒手にとるからにゆらぐ玉の緒 と詠んだ歌が載っており、この当時すでに、子日宴が行われてい たことがうかがえます。 さらに、平安時代になりますと、子日宴は嵯峨天皇の弘仁年間に は 宮廷行事として定着し、また、宇多・醍醐天皇の御代からは、 紫野や北野などに出て、小松を引き抜いたり、若菜を摘むというこ とが行われるようになりました。 『扶桑略記』には、宇多天皇の御代、寛平8年閏正月6日の条に、 有子日宴、行幸北野・雲林院 とありますが、当時の人たちは、 年の初めに、長寿のシンボルともいえる松の木の、その小松を根 から引くことで、松の寿を身につけ、また、若菜の羮(あつもの)を 食べることで、邪気を払い、千代を祝っていたのでしょう。 『小右記』寛和元年閏2月13日の条にも、今日御子日也(中略) 於紫野翫子日松者、以兼盛令献和哥序此間有蹴鞠事 とあり、 ここでは引用を省略しましたが、幄を立て、板敷を敷き、御前に小 松を植え……と、円融院が紫野で子日宴を盛大に行われた様子 が記されています。 このように、子の日の遊びは、もともと陰陽思想から始まった行事 でしたが、平安時代になり、古来、我が国で行われていた若菜摘 みの風習が子日宴に取り入れられるようになったことなどから、し だいに外来思想の影も薄くなり、日本の風土になじむものとなって いったのでした。 それでは、最後に、もう少し こちらの写真で小松引きの様子をお 楽しみ下さいね。 |
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